当時、生化学教室教授の安田守雄先生(故人)のもとへ、初代主将高瀬浩先生(41期)をはじめとするM3が3名、Ⅿ2が1名、M1とC2で12~13名が集い、発足した。東医体には出場せず、対外試合は対札幌医大戦しかなかった。
東医体へ初参加。東医体合宿は高瀬先生の民宿を利用させていただいた。秋の対札医戦から末吉杯(札医軟庭部長)という団体用カップ登場。今井陽先生が部長に就任される。
春の札医戦から、今井杯も登場。合宿は新琴似の風呂屋の2階。
盛岡合宿が行われる。これは、岸原隆先生(49期)、岸原千秋先生(50期)のご兄弟の おかげで、1975年ほどまで続く。山下裕久先生(46期)のご尽力で、部誌が創刊される。
東医体を主管。また、学連にも新人戦から初参加。ともに、藤田正樹先生(47期)によるところが大きい。
春学連3部1位になるも、入れ替え戦で敗れる。秋学連は3部同率1位になるも、得ゲーム差で2位。
北医体が開始される。伊藤有賀組堂々の第1回優勝ペアに輝く。
春学連で男子が1部リーグに昇格。「強い北医軟庭部」の幕開け。
北医体優勝。さらに、念願の東医体初優勝。部誌第4号発刊。
全医体を主管し、準優勝に輝く。部誌第5号発刊。 秋学連で男子2部へ陥落。初代部長安田先生御逝去。
部誌第6号を発刊。
部誌第7号を発刊。春学連で男子3部へ陥落。北医体・東医体個人戦にて小林中江組準優勝。
旭川医大、北大歯学部、札幌医大、そして我が部による道医体が始まる。部誌第8号発刊。
北医体を主管し、個人戦長嶋石井(伸)組準優勝。男子春学連で2部に昇格。東医体個人戦、土田久須美組優勝。第2代部長今井先生が御退官され、部誌第9号発刊される。
石橋輝雄先生第3代部長に就任。東医体で男子団体戦準優勝。全医体個人戦、長嶋片岡(英)組準優勝。
北医体男子団体戦優勝。その勢いで、秋学連男子1部昇格。部誌第10号発刊。
春学連では男子団体戦準優勝。北医体では団体戦2連覇を果たす。東医体において女子団体戦準優勝。秋学連では、優勝への3本マッチをとるも、準優勝。秋学連個人戦では三浦久須美組が見事優勝。
北医体団体戦3連覇を達成。また個人戦では三浦久須美組が優勝。さらに、念願の男子東医体優勝(2度目)。東医体女子団体戦2年連続準優勝。部誌第11号発刊。
第4代部長に高取健彦先生就任。北医体で男子準優勝。東医体で準優勝。全医体では第3位。女子は東医体団体戦で念願の優勝。個人戦では佐野古市組優勝。さらに全医体では、同組準優勝。
北医体男子個人戦では、決勝が部内戦になり、三浦片岡(英)組優勝、片岡(宙)渡辺組準優勝。東医体で男子団体戦準優勝。全医体三浦片岡(英)組個人戦優勝。部誌第12号発刊。第5代部長に寺沢浩一先生が就任される。
創部30周年を迎える。春学連男子2部へ陥落。部誌第13号発刊。
東医体第5位となり、西医体との関係で全医体出場。個人戦では、新田鈴木組第3位。旧ルール最後の秋学連では、2部最下位となり、入替戦へ進むも勝利し、2部残留。
新ルール最初の春学連にて、1部2部入替戦に進出、道工大を3-2で破り、2年ぶりに1部へ復帰。道医体では、男子優勝を飾り、新田鈴木組が個人戦優勝。しかし、主管をした東医体では予選リーグ落ち。
春学連個人戦では新田新田組が第3位となる。山形で行われた北医体では男子団体3位、女子団体準優勝を決め、男子個人戦では新田新田組が準優勝。東医体では、男子団体戦で札医大・新潟大を破り、6年ぶり3度目の優勝。全医体では、新田新田組が第3位となる。
春学連では、男子1部2部入れ替え戦に進むも、酪農大を破り、1部残留。北医体では男子個人戦で新田新田組が第3位。北医体女子団体は優勝。東医体では女子個人戦で刀袮清水組が準優勝し、全医体では同ペアが第3位に輝く。秋学連では、男子2部陥落。
北医体では男子個人戦で新田新田組、女子個人戦で松本清水組がアベック優勝を飾る。東医体では男子団体戦第3位。男子個人戦では新田新田組が優勝する。しかし、東医体前に行われた道医体では同ペアは稲場堀組(旭医大)に敗れ準優勝であった。
札幌で行われた北医体で女子団体戦優勝を飾る。東医体では女子団体戦第3位。3月の総季インドアでは長栗田組が3位と好成績を収める。
春学連では、男子2部3部入れ替え戦に回るも2部残留を決め、女子は1部2部入れ替え戦で見事に1部昇格となる。北医体女子では決勝リーグで札医に敗れるも第2位。
東医体女子団体では、9年ぶり2度目となる優勝に輝き、個人では長栗田組が第3位となる。
その後行われた全医体では、団体で準優勝となり、長清水組が第3位と健闘する。
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